沖縄に鉄道が走ってた⁉

最近は、梅雨らしい天気が続いている比謝川周辺です。
雨が降ると足元も悪くなるので、徒歩よりも車で出掛けたくなりますよね。

さて、本日はそんな沖縄での交通手段についてのお話しです。

・沖縄の交通状況
まず、ご存じの方も多いかもしれませんが、沖縄は’’超’’車社会です🚗💨
県民の方は免許が取れる年齢になったらすぐ教習所に通いますし、車は一家に1台というよりも一人1台所有するようなイメージです。
毎日、通勤の時間帯には道路が渋滞する光景が当たり前になっています。
沖縄にご旅行に来た際も、レンタカーを利用しないと観光がしづらいかもしれませんね。

公共の交通機関はというと、バスと那覇市内を走るモノレールのみです。
内地の皆さんには馴染みのある鉄道は、沖縄県には走っていません。

ですが、遡ること約100年前には沖縄にも鉄道が走っていたんです。
ご存知でしたか?

・沖縄に走っていた鉄道
かつて沖縄に走っていた鉄道の名前は「沖縄県営鉄道」。本土で走る汽車よりも線路の幅が狭かったため、「軽便鉄道」とも呼ばれていたそうです。
鉄道が敷かれたのは、沖縄の産業の発展や振興を図るためで、多くの人や物を運ぶためだったそうですよ。

この沖縄県営鉄道は、那覇駅から与那原線、那覇駅から糸満駅、那覇から嘉手納駅までの3つの路線が運行されていたそうです。
そう!かつては嘉手納まで鉄道が走っていたんです🚃

・なぜ嘉手納まで鉄道が?
嘉手納町まで鉄道が敷かれたのには、嘉手納町の位置が大きく関係しています。
嘉手納町は沖縄県のほぼ中間に位置しています。
鉄道や道路などの陸路が発達する前までは、県北部との交通は山原船という船で行われていました。その船の船着き場として使われていたのが、比謝川にあった比謝港だったのです。
北部で生産された木炭や豚、牛などが比謝港で陸揚げされ、嘉手納町を通って那覇まで運ばれていたんです。
このように、嘉手納町は北部と南部をつなぐ交通の中心として発展していたため、那覇と鉄道で繋げられたんですね🚃

・鉄道と人々の暮らし
嘉手納線の営業は1922年3月から開始されました。
嘉手納・那覇間を1日8往復し、片道約1時間17分かけて運行されていたそうです。
始発と午後5時頃の時間帯は通学・通勤客で満員になっていたそうですよ!
そこは今の内地の状況と変わらないですね!

記録によると、汽車は坂道にさしかかると乗合馬車に抜かされるほどのんびりした速度で走ったそうです。
サトウキビ畑の中を走っていたのでしょうか。その当時の景色を見てみたいですね👀
嘉手納線は製糖工場まで側線が敷かれており、鉄道による大量輸送力は嘉手納町の基幹産業であった製糖業の発展に貢献し、通勤・通学という新しい生活文化を人々にもたらしたそうです。

・現在の嘉手納駅
嘉手納の人々に活気をもたらした鉄道ですが、太平洋戦争最中の1945年3月頃、米軍の攻撃を受け最期を迎えてしまいます。
当時使われていた嘉手納駅の跡地は今も残っていて、現在の嘉手納町役場近くで記念碑を見ることができます。
当店からも近いので、ツアー前後にぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

鈴木と車
車がないと、どこにも行けない!!
というコトで、移住後すぐに自動車を購入!!
車屋さんでいただいた購入記念写真デス♪ 

それでは、次回のブログもお楽しみに!



ブルーフィールド

沖縄県中頭郡嘉手納町字水釜566-11

TEL 098-989-0780

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