比謝川にかかる赤い橋

梅雨の合間、久しぶりに晴れ間が広がっている比謝川周辺です。

さて、当店ブルーフィールドのカヤック・SUPツアーに参加すると、まず一番初めに目に飛び込んでくる景色がこちらです!
比謝川に架かる赤い橋

こちらは陸上からの景色ですが…😅

比謝川にかかるこちらの赤い橋、名前を「比謝川大橋」といいます。
地域の方からは見た目そのまま、「赤橋」という愛称で親しまれている橋です。
当店のある嘉手納町と、比謝川を挟んで対岸にある読谷村をつないでいます。

この比謝川大橋、実は歴史が古く、戦前までさかのぼります。
なぜこの場所に橋が架けられたのかというと、嘉手納町の大事な産業を支えるためでした。

その産業というのが、「製糖」です。

皆さまご存じのとおり、沖縄の代表的な農産物のひとつであるサトウキビ。
そのサトウキビから砂糖を作る「製糖業」は、戦前沖縄の基幹産業となりました。
1911年の沖縄県から他県への移出額の76%は砂糖で占められていたという記録も残っているくらい、沖縄県全体で重要な産業だったのです✨

嘉手納町では、1911年に民間資本によって「沖縄製糖株式会社」が作られました。
翌年からは機械によって約400トンの黒糖生産が始まったとされています。

そんな大量の黒糖生産を支えるためには、大量のサトウキビが必要になりますよね。
そこで、比謝川を挟んだ対岸の読谷村では、サトウキビ生産が盛んになっていきました。

そのサトウキビを運ぶために作られたのが、比謝川大橋なのです!
といっても当時は現在のような大きな橋ではなく、回転式の橋だったようです。
回転式にした理由は、当時の比謝川は船で河口からさらに奥に入った比謝橋という場所まで船が通っていたので、その船を通すためだったようです。

読谷村で作られたサトウキビは、トロッコに乗せられ、それを馬に引かせて嘉手納町まで運ばれていたようです。
そのため、当時の回転式の橋にはトロッコが通るレールもひかれていたのだとか。
ひとつの産業を軸にして、街の様子が変わっていったんですね。

嘉手納町にあった「沖縄製糖株式会社の跡地」は、当店や比謝川自然体験センターの近くにあります。ツアー前後に立ち寄って、比謝川やその土地で暮らしてきた人々の歴史に思いをはせてみても良いかもしれませんね。

それでは、次回のブログもお楽しみに!



ブルーフィールド

沖縄県中頭郡嘉手納町字水釜566-11

TEL 098-989-0780

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